t-kaz’s blog

ボーボー日記

行ってみないと分からない

*行ってみないと分からない

自分が生まれた所には神社が多くある。すぐ近所の
よく遊んだ神社はお諏訪さんと呼ばれていた。

全国に25000もあるという諏訪神社である。
そんなこと知らせてくれたのはラジオの今朝の三枚おろし
である。
神社愛好家によるここの写真がネットにアップされている。
(ここ賽銭箱がないんだよねぇ)
県内にはまだまだたくさん諏訪神社があるなぁ。

稲佐神社もある。小さい頃はここで流鏑馬みてました。
長い石の坂道を上るのが楽しみだったなぁ。
ここにも古い巨大な楠がある。

そして縫ノ池もある。
といってもいたころは水も枯れた汚い池だったなぁ。
湧き水になってからは行っていない。
ここには巨大な石の亀の像がある。ある時この石の
亀が動いたということで背中に巨大な石の筒が置かれて
いる。縫ノ池の写真にこの亀が写っているのを見たいと
いつも願っている。

あと、歌垣山とか水堂さんとか歴史的価値の高そうな
建造物がそこそこあるのよ。

炭鉱の思い出

*炭鉱の思い出

母の妹家族は多久に住んでいた。炭鉱の社宅はきれいで
自分ちとは大違いで訪ねて行くのが楽しみだった。
そこには病院や学校もあり夏祭りは盛大でここで初めて
屋台で買物したり銭湯に行ったりした。当時はまったく
お金の使い方を知らない田舎の子供だった。

叔父さんは炭鉱の経理部門の仕事をしていたのだが
こちらが小学校低学年の頃に多久から神奈川へ引越す
ことになった。当時は閉山するからなんて全然自分に
は理解できないことだったな。

引越しで残していく家具類をもらいにリヤカーを引き
多久と自分ちを往復した。今思っても途中にはトンネル
もあり結構な距離である。行きはリヤカーに乗り、帰り
は押したり乗ったりしながら手伝った。
その間当時薄々は気が付きだしていたがうちは貧乏
なんだなと思い悲しい気分になっていた、
心の中で♪雪の降る街を~の曲がずーっと流れていた。

高校生になって一度、その社宅を探しに自転車で
行ってみたが社宅はまだあった。
そういえばその頃、大町炭鉱のトロッコ列車にも
乗りにいったなぁ。これはスリルあった。

ついてる

*ついてる

年末に姉から父の軍歴が送られてきた。息子が写真にして添付で
送ってくれたものだ。
NHKでやるファミリーヒストリーという番組を欠かさず見るの
だがそこによく軍歴がでてくるのでこの軍歴に興味はあった。
手順を踏むと有料で取り寄せることができるようだ。

その軍歴を見てネットで調べてみると幸運にもいいところに連れて
行かれたもんだなと思った。インド方面でもなく朝鮮、中国方面
でもない、東南アジアに行きそこは悲惨な戦地ではなかったようだ。
といっても多数の戦死者を出してはいる。
無事に戦地から帰還できたから自分が生まれてきているわけで
これをほどついてると言えることはない。
同じように召集令状が自分に来て無事に帰還できる自信はないな。

本当にもっと話をきいておけばよかったとしみじみと思う。

最後のサイクリング

*最後のサイクリング

自転車といえば高校3年の時に級友と二人で自転車で関門トンネルを渡った。といっても自転車は引いて歩いて渡ったんだけどね。この時はまだ関門橋は完成してませんでした。翌年開通してます。関門トンネルを渡るのは妙に興奮したなぁ。渡った先の下関の立派なホテルの高台の庭にテント(貧弱なビニールテント)を張らせてくれと強引に頼み込み幸運なことにOKとなりそこで1泊しました。今思うとよく許しがでたもんだと思います。

この時の級友とはこの日泊まった翌朝に別れることになる。もともとわがままな奴だったけど話が面白いので付き合っていたけどこの時に堪忍袋の緒が切れたのである。つくづく自分は器が小さいなと思い知る瞬間でもあります。この時絶交宣言してから二度とその級友とは付き合うことはなかった。それにしても翌日にもう一緒は嫌だから君にこのテントを渡すから君は日本海側、自分は太平洋側を行こうじゃないかと提案、いや宣言してさっさと別れたのである。もうこちらは決心してるのでサバサバした気分でした。今思うとこれはちょっと酷い話だと思う。なんと小さな堪忍袋だ。

それから自分は柳井まで行き、親戚の家で一週間ほど過ごしてそこからフェリーに乗り
大分から佐賀へと戻った。途中の耶馬渓はさすがに車に乗せてもらったけどね。

夏休みが終わりその級友にテントを返してもらいその後どうしたかちょっと話してから
その後その級友と話すことはなかった。意外だったことは級友が特に怒っているそぶり
もなかったことである。

後年、小田急線の朝の混雑の中で偶然その級友の前に立つことになるのだが、こちらは
すぐに分かっりその場からはなれたので級友はおそらく気が付かなかっただろうと思う。残念なことにこれを確認する機会もなさそうである。

自転車のパンク修理

*自転車のパンク修理

1年位前にママチャリの後輪のタイヤとチューブの
交換をした。11月30日に後輪がパンクしたのでまた
修理することになった。何しろパンク修理は今や
千円以上もするからな。でも自分で修理してる人を見る
事はめったにない。
自分でパンク修理するといっても今はチューブ交換
しています。新品で800円程度だからね交換で
いいと思っています。前輪は簡単だけど後輪はちと難しい。
バランス調整が難しいのよ。自転車は繊細な乗り物です。

 

中学、高校と自転車通学でした。高校へは毎日13キロを
自転車通学しました。自転車には自信があったけど1年の
頃は3年生が抜かせてくれないので困った。そのため
随分と遠回りして帰ったもんです。行はいいのよ。
こんな理不尽ないじめは普通にあったな。自分はしなかったけどね。

悩みはこれだけではない。1年の頃の自転車は信じられない
ことに空回りする自転車になっていた。中学3年間使った自転車
だったけど後輪のギヤの爪がすぐに飛び出さない状態になっていた。
何回か空回りすると爪が出て後輪が回り前に進むのだ。
じゃあずーっとこぎ続けていたらいいじゃないこと思うだろうけど
自転車はそうはいかない。しかし自転車がこんなところが故障した
という話はきいたことがないな。
この爪はバネで飛び出すようになっているこのバネが2カ所ともに
無くなってしまったのだ。なんでそうなったのかは知らないが
買った自転車屋のおじさんがバネの代わりに虫ゴムを切って
代用するの見てました。何で新品に交換してくれないんだろうと
思いながら。
一度、帰りが遅くなったのに爪がなかなか出てくれないで
困ったのでしかたなく学校近くの自転車屋に修理してくれと
頼んだけど、これはできないと断られてしまった。しかたなく
自分で虫ゴム使って修理したら店の人が驚いた顔してました。
こちらは暗くなるし必死でした。それで無事に帰宅できました。

こんな状態が2,3か月続いていたある日、近所の後輩が廃棄する
自転車があるから後輪を上げると言ってくれた時は嬉しかったなぁ。

最近知ったこと

*最近知ったこと

アップルペンシルは無印ipadだと6世代から。最新は9世代。
買ったのは5世代だが今更手書きで勉強することもあるまいし
激安で手に入れたのだからよしとしよう。

そういえば5世代(2017),6世代(2018)は9.7インチだがそれ以降は

9.7インチはなくなり10.2とかになっていくようです。だから

9.7のケースが100均では売ってません。これ知らなかった。。。

*山頭火

山頭火は昭和15年には亡くなってるのだな。山頭火肥前
にも旅してるので昭和30年代にはうちの近くまで旅してる
かもしれないと思っていた。そうするとあれがそうだったかも
と思っていいたのは、ただのぜんもんさんだったのか。。。

ついでに尾崎放哉も調べたらこちらは大正15年没。
同時代の人と思っていたがそうでもない。
自由律俳句は難しい。俳句はどれも難しいさ。
年取って時間ができたら俳句、川柳でもやってみようかと思って
いたがやりやしない。

*minico

この7月から家のインターネット接続を安い契約に変更した。
ちょうど縛りの3年が経過したからだ。
今までとほとんど見た目は変わらずで安くなった。夜には
遅くなるとの話だがほとんど変わりは感じられない。

夫婦二人のスマホ代とこれで1万円以内に収まるようになった。
スマホも型落ちだが新品激安品で支払い済。月3Gまでの契約
だが毎月6Gまでになっている。ほとんだwifiで済んでるからだ。
固定電話はこの前のようなスマホが使えないときがあるので
必要だと感じている。滅多にかけないしかかってこないけどね。

このような生活インフラ関連の契約の解除はなかなかすっきり
行かないようになっている。3年前引越しのときにau光でnifty
だったのだが変更手続きが0570だけだったのだがそれがなかなか
繋がらなくて結局電話代だけで1000円近くかかった。どうすべき

か相談するつもりが途中で頭にきてniftyau光も解約してしまった。

niftyなんか30年以上も継続していたからやめたくなかったのに。

かようにそう簡単に解約や変更手続きができないようになっている。
こんなことしないでスッキリと解約させてくれればまた契約して
やろうという気になるのだがなぁ。そうは思わないのかな。

お年寄り一人暮らしの人が亡くなった時にこれらの解約手続きが
面倒なことを知る人がいることをどこかのブログで目にした。
安い電気の契約もそうらしい。
契約の縛りを無くすことと解約や変更も簡単に行える世の中に
して貰いたいもんだとつくづく思うなぁ。